にわかオタクの日常

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「死にたい」が口癖だけど死ぬのはこわいー20代半ばが考えるー

 

「さむい・眠い・死にてえ」

 

最近の口癖です。夏になると「さむい」が「暑い」に変わります。

 

よく眠くなるし、軽率に死を口にします。

 

買い物の時に「ちょっとここ寄ってみようかな?」くらいのノリ。

 

出来事があってもなくても「死にたい」って言いますね。

 

なぜ「死にたい」と思うのか。

 

 

それは生きていく自信がないから。

まず精神がまだまだ幼い。自分の世話ができない。

情緒は基本低いところで落ち着いてるけど唐突に泣く。独り言でずっと話しているし、効果音とか言ってしまう。

部屋はとてつもなく汚いです。いわゆる汚部屋。朝は起き上がるのに苦労する。どんどん起きる時間が遅くなり、毎日ギリギリ。小学生のころ登校班に遅れ走って学校へ行ってました。そして、成人してしばらく経った今。走って駅へ行き、走って会社へ行く生活。何も変わってない(;'∀')

数十年後。親が死んで本当のひとりになった時、そこからさらに十年、二十年と生きていけない気がする。寂しくて。

現在一人暮らしですが、離れていても帰省する家がある、そこに住む家族がいるからやれていると思います。「一人でも全然平気」みたいな感じで生きてますが、実際は超寂しがりや。

 

40歳手前くらい、37歳とかで死ねたら年齢的には理想かなと本気で思います。

 

 

ここまで思うけど自殺はしたいわけではないし、死ぬことにすごいおびえてます。

 

身内の葬儀に参列したのは3回。

曾祖父母と父の時。

(ほかにも2回くらい参列した気がするけど全然記憶にないし遠縁過ぎるのでノーカン)

 

初めは曽祖父。

祖父母と曽祖父母は同居していて、昼寝をしたらそのまま逝ったらしい。理想的な逝き方だなと思いました。病気を患っていなかったので、痛みにもだえたり苦しみぬいていたりしていないところが。これが、初めて「死」を身近に感じたときでした。

葬儀中、介護していた祖母がいろいろ話かけていた。その姿をみて「話かけてもらっているのに気づかない、分からないってどうなんだろう。すごく悲しくない?」って思ったことはまだ割とよく覚えてる。

この時はまだそこまで死が怖いって思っていませんでした。小6で幼かったし。

 

2回目は父でした。

長いこと別居していた。

早朝。まだ太陽はまだ昇っていなくて辺りは暗い時間でした。電話がなったことには気づきつつもそのまま寝ていたら姉に起こされた。

「お父さんが死んだって。」電話をうけた母が同じことを言った。

急いで父が住んでいた社宅へ3人で向かうと父方の祖父母と警察がきていた。警察は事件性がないか調べていたらしいが、すぐに事件性なしとなりかえっていった。

 

父がいないのは日常だったが、この世からいなくなる、永久に会えないというのは衝撃だった。社宅から一旦家へ戻る車の中で「お父さんは不死身だと思ってた。」という姉の言葉を覚えている。「親が死ぬ」というのはもっとずっと先のことだと、想像もしていなかったのは姉妹同じだったようです。

 

これ以降ふっと「死」について考えるようになった。

 

3回目、曾祖母。

曽祖父母そろって大往生だった。ボケてしまっていたため晩年は自分たちひ孫や母たち孫のことは分からないような感じだった。介護している祖母だけわかるような感じ。曾祖母も理想的な逝き方だと思う。朝、朝ご飯を出しに行くと逝っていたようだ。

眠ってそのまま。いいなあって思います。

もうそろそろもしれないとは言われていたため、そこまで大きな衝撃はなかった。

 

 

 

 

この3回の葬儀を通して死ぬのが怖いと思う理由は、生きているのが当たり前で死が想像つかないから。

話しかけられているのに聞こえない。暑い、寒いがない。体が焼かれるってどいうこと。骨になるって・・・

 

想像したってわかることじゃないし考えても仕方ない。それはそうなのだが、ふと考えてこわがりつい怯えてしまいます。

ゆるく生きているようで結構必死。